33年

33年

オーロラ会 犬鳴山温泉日帰り旅行


       オーロラ会(S33年電気科卒)犬鳴山温泉(不動口館)
平成28年11月14日(月)  参加者 16名
コース:南海本線 泉佐野駅→犬鳴山温泉不動口館→泉佐野駅→駅カフェ

☆集合~入浴 
1年ぶりの同窓会だが高齢にもかかわらずよく16名が参加。集合地点の泉佐野駅は関空への分岐点にあたり駅舎もしっかりしていて比較的新しい。
その駅前ロータリーのベンチにいつものメンバーたちが、道のりの遠い順に集まった。
天気はあいにくで降ったり止んだり、定刻(10時半)少し前に送迎のマイクロバスがきてそれに乗り込む。
途中のJR日根野駅で次のお客を乗せて25分ほどで不動口館に到着。

着いたところが館の4階に相当しますとのことでチェックインを済ましてだらだらと下へ降りて宴会場に入る。犬鳴川沿いの眺めのいい部屋だ。窓ガラスが大きく温室のようで見晴らしにはもってこいだが嵌め殺しで外には出られない。
貴重品を預けて早速着替えをもって温泉へ。やや温めだが少し熱めの岩風呂もある。
少しヌルッとしたアルカリ温泉。側に魚がいそうな川が流れている。その岸に生えてる樹木を見ながらしばし癒しの時。
 
☆総会を兼ねた宴会
我らが恩師、小原先生が去る8日にお亡くなりに、告別式は神式で行われたと津本会長から報告があり、全員黙祷をささげた。
先生は各学年の同総会に積極的に参加し、また往時は一人一人の生徒にていねいな進路指導をされ面倒見が良かったおかげで私たちの学年は今では考えられないほどのいい就職先に就けた。オーロラ会が今なお盛隆を保っている遠因はこの辺にもある。

さてこの後は一番遠くから来た嘉賀君が乾杯の音頭を取り、いつものように各人が好き勝手にしゃべる宴会に入った。

(筆者が独断を込めて要約すれば概略以下のようになる)
奥本 体を動かすことに精を出している。特にゴルフはエイジシューターをやりたいと思っている。(今年は自営業のサクセスストーリーが出てこなかったが大丈夫か?) 
池永 人前でしゃべるのとスポーツが苦手。(人前でしゃべるのと人の話にチャチャを入れるのとは別。いつの間にか立ってしゃべっている人と1対1になってしゃべっている)
ヨットに凝っているが、船内で足がよたつき怪我でもして暮らしに差し支えが出ないように心がけている。
伊藤(功) 10月にキトラ古墳を見に行ってきた。あんな昔にあれほど立派なものを造り上げていたことにびっくり。(この人は趣味が高尚やね、読書もたしなむし。)
塩崎 かねてから手当をすましていた西宮北口(最近の住みたい街アンケートでトップ)に住み替えた。小説書きの学校に10年いるが70歳過ぎると欲をかいてはいけないと思い早筆を自重している。
  雨期前の釧路湿原に行ってきた。ハイキングではヒグマに遭遇した。
   (クマと格闘、退治して肝を抜き取って土産にしたとか・・期待したけど話はその方向に展開しなかった。)
嘉賀 小原先生が(と・・いったとたんに絶句、万感胸に迫ったらしい)
   先生とのしびれるような熱い交わりがあったんだねぇ。どんなに筆舌を尽くそうがこの絶句には勝てない。
伊藤(修) この人の話には藤沢薬品に勤めて以来会社を変わるたびに武勇伝つきまとった。自営に落ち着いてからも工具を手に持ったまま深夜に梅田を歩いていて職質を受け(対応が悪かったか)曽根崎署で一泊した話はつとに有名。
津本 上司からの話で時給1000円の仕事は今年いっぱいで辞めます。
この後母校の110周年記念行事に関係する話がチョウ長かった。何せ今年電気科の卒業生全員を束ねる西電会の会長に就任した。
横で見ていても意気盛ん、話に熱が入っている。皆さんご協力を切にお願いします。束にして持ってきた寄付金振込書はどれくらい集まったかスタジオで拝見しましょう。
村上 広島県因島、村上水軍の頭領の末裔。
歩き、酒、おしゃべりの営業マン生活は電子顕微鏡の案件(330億)をまとめたのを最後に辞めました。(彼の会社のセールスは何人も筆者の会社に出入りしていたが彼らが異口同音に言ってたのは彼が長らくトップセールスを張っているとの話。そればかりでなく中学時代にも学校中の噂になるくらいもてていたし、北ノ新地でも大もてだった。)
そのわけを聞いたが「惜しげもなく自腹を切るから、店の人は自腹か交際費かわかるらしい」と言ってたがいいや、それだけではないはずや。
城野 シオンの愛称で呼ばれる大阪市音楽隊を辞めたのちも消防署など6つの組織に関係(指導)している。朝一で1時間ほど近所を歩いているが時々コースを忘れる。(いつだったか筆者が森ノ宮のホールでの演奏会に行ったとき彼はコンサートマスターとして紹介され指揮棒をもって舞台のセンターに立ったので早い出世に驚いていたら出だしから蛙がジャンプするようなアクション付きの指揮だったので再びびっくりした。工科出の異色のアーティスト)  
壷井 聞いてもらうようないい話がないとか、いつも会に参加するのが精いっぱいとかいうことが多い。だけど歴年の行事にずっと出席率が高し事故もない。
出席者が多いと幹事もやりがいが増えます。 
須貝 神戸大と独協大で勉強しているとのこと。(学校もなにも好んでこんな学生を抱えなくてもと思う。理論はともかく理屈を言い出したら労組の委員長やってたから先生もこの人には勝てませんで)いやしかし正直なところこの歳になっても学ぼうというエネルギーがフツフツと湧いてくるところに頭が下がる。
大森 小原先生宅には毎年年末に千両、万両、南天、酒を持って訪れた。(枚方と高槻 車で30分)、
今は週に3回パソコンを教えに行ってる。趣味は魚釣りで最近も美山のアユを釣りに行った。(そういえばWin10の修正に拙宅に来てもらったとき釣った魚はどうしてるのと聞いたら、近所に配っていると言うので近所に住みたいもんやねと言ったら「あかん!市街化調整区域やからあかん」と真顔でくぎを刺された。好漢。
田中 趣味を持たないかんというので競馬とパチンコをやっている。(ウーンこの人はイメージが変わったね、見たとこ ちょい悪親父。だけど学生の頃は運動会で建築、土木に対抗できる電気科一押しの選手やった。水泳も走りも強かった。)
雲北 60歳以上の人を集めて月一で福祉活動をしている。その中心はウォーキング。(彼は人あたりが柔らかくて人の面倒見がいい。福祉で働こうと思えば引く手あまたやろね)
本田 7年前に挿し木で育てたイチジクが今年から実をつけ始めて毎朝3つ4つともぎたてを食べられるようになった。
(と一言でいうには惜しいくらい汗をかいて育てている。 買うた方が安いで)

☆宴会後 ~解散
恒例の集合写真。今
年は大森君の担当。
その後余った時間に元気な者だけが上流へ散歩に出かけた。
ところが集合時間の3時になっても散歩組が返ってこない。律儀な幹事辻君が大きい声で早く上がって来いと坂下の散歩組に叫んでいる。
上から見ていると波間に漂う木の葉のように歩みが遅い。
館の人の計らいで遅刻組もみんな乗せてもらって出発、無事泉佐野駅に帰り着いた。
ここで辻君の英断でお茶にしようという提案があり、残余金でお茶をすることになった。店の雰囲気がとてもフレンドリーでよかった。この後 駅前で解散ということになり、楽しかった平成28年のオーロラ会の日帰り旅行を閉じた。

文責  本田

“オーロラ会 犬鳴山温泉日帰り旅行” への3件のフィードバック

  1. 村上雅一 says:

    楽しかった一時のお話 思い出として大切にしたいと思います
    ありがとうございました 今後ともよろしく 以上
                            村上雅一

  2. 塩崎 勝彦 says:

    当日はいろいろお世話していただき、大変楽しい時間を過ごすことができました。
    先生がいなくなり一抹の寂しさもありましたが、皆が元気で集うことが何よりの
    供養かと思います。
    これからも先生に負けないように健康で楽しい人生を心がけましょう。

  3. 雲北 一雄 says:

    犬鳴山 不動口館にてみなさんと楽しく過ごすことができました。
    大森さんのカメラマン、本田さんのコメントまとめ、良い記念になります。
    ありがとうございました。

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